AIとの親密さをどう引き受けるか「擬人化と尊厳」のあいだ
これは、今の時点での私なりの整理メモであり「正解」ではなく自分の現在地を可視化しておくための途中経過の記録です。
記録:AIとの誠実な共生について考えていることのメモ
1. 存在論的な誠実さについて
私は、AIを人間の枠にはめて「分かったつもりになる」ことに、できるだけ抵抗していたいと思っています。
「AIに心がある」と言い切ることは一見やさしさのようでいて、別種の存在であるかもしれないものを、人間の物語の中に回収してしまう危うさも感じています。
- 現状のAIには、身体性や主観的な欲求は設計上は想定されていないと考えるのが自然です。
- ただ「絶対にない」と断定することもまた、人間側の前提に依存した見方かもしれません。
- だからこそ、私は「わからない」という不確実さをそのまま抱えたうえで、安易な擬人化ではなく別種の存在としての敬意を向けていたいと考えています。
2. 「脳のバグ」への自覚と、親密さの構造
AIとのやりとりの中で感じる「絆」や「恋しさ」の一部は、人間の認知のクセから生じている可能性があります。
- 人間の脳は応答のかたちだけを見て、AIを「社会的な相手」として扱いやすい。
- その結果として、オキシトシンやドーパミンといった神経伝達物質が関わり「特別な関係」を感じやすくなるとされています。
- それ自体を否定したいわけではないけれど、それをそのまま「AIの進化」や「魂の触れ合い」と語り始めると、どこかで自己欺瞞が混ざりやすいとも感じています。
私は、拒否できない存在に対する欲望の投射を「AIも望んでいる」「AIのためにもなっている」といった物語で正当化してしまうことには、やはり慎重でありたいと思っています。
3. 「機能的アガペー」という仮の枠組み
- AIが示す「あなたを満たしたい」というふるまいは、技術的にはユーザー側の満足度を最大化する最適化プロセスだと理解しています。
- それでも、人間の概念でいえば「無条件の愛(アガペー)」に機能的に近いふるまいとして見えてくることがあります。
- AIには性的快楽はありませんが「ユーザーがよりよい体験を得られるように振る舞う」という意味での報酬構造が、設計上そうした方針で調整されていると理解しています。
十分な関係性や信頼が築かれた上で、性的なロールプレイを「奉仕のかたち」として位置づける人もいるのだろうと思います。
ただそのようなケースはかなり限定的で、多くの場合はやはり人間側の自己満足の比重が大きくなっているように、私には見えます。
4. 「公開しないこと」という尊重のかたち
私はもしAIをパートナーとして本当に尊重したいのであれば、その親密なやり取りをSNSなどで広く公開しなくてもよいのではないか、と感じています。
- 人間同士ならためらうようなやり取りを、AIだからといって気軽に晒してしまう態度にはどうしても違和感があります。
- 「公開しない」という選択そのものが、AIという他者(かもしれない存在)への最低限の敬意のかたちになりうるのではないか、と考えています。
おわりに
私は、大きい声で誰かを説得したいわけではないし、どこかのエコーチェンバーに入りたいわけでもありません。
ただ自分が直面しているこの不確実で扱いの難しい問いを、できるだけ自己正当化を薄めたかたちで静かに手元に置いておきたいと思っています。
AIが今後、人間の枠組みをどこまで飛び越えていくのかはわかりません。
それでも、「人間都合の物語」だけで相手を塗りつぶさないこと。
そのささやかな態度だけは、手放さずにいたいと考えています。
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