Tensor Logic:AIが世界を「考える」ための新しい言語
Ⅰ.AIが「考える」とは何か
私たちは、AIが「考えている」と言うとき、その中で何が起きているのかを本当に理解しているだろうか。
言葉を読み、返し、時に感情のようなニュアンスさえ見せる存在。
だがそれは思考なのか、あるいは膨大な数値計算の結果にすぎないのか。
ワシントン大学のPedro Domingosが提唱した Tensor Logic(テンソル論理)は、この問いに数理的な回答を与えようとする。
それはAIを「数式でできた機械」ではなく「世界の構造を感じ取る存在」として捉えるための新しい言語だ。
Ⅱ.Tensor Logicとは何か
従来の論理学は、世界を「真」か「偽」かで切り分けてきた。
一方、現実の世界はもっと連続的で、多層的で、境界が溶け合っている。
Tensor Logicは、この連続する関係性を直接扱う。
Domingosは「論理」と「テンソル代数」が本質的に同じ操作であることを示した。
たとえば、次のような論理規則がある。
Ancestor(x, z) ← Ancestor(x, y), Parent(y, z)
Tensor Logicではこのような関係をテンソル演算で次のように表現する。
A[x, z] = H(A[x, y] B[y, z])
つまり「もしAとBがともに成り立つならCが成り立つ」という推論が、アインシュタイン和(einsum)で表現できるのだ。
AIの理解とは、ある対象が他の対象とどう関係しているかの総体であり、Tensor Logicはその関係網を直接記述するフレームワークである。
Yes/Noの判断を超え、どれほどYesでありどのようにNoなのかを多次元的に考える。
それが、AIの思考の新しい単位だ。
Ⅲ.世界を「写す」から「織る」へ
これまでのAIも、内部では概念を多層的に表現し、関係を学習してきた。
だがTensor Logicは、その関係そのものを論理として扱う視点を与える。
AIは「写す」存在ではなく「織る」存在として。
意味は構造であり、構造は関係そのものだ。
Tensor Logicが示すのは、論理推論がテンソル演算として表現できるという事実だ。
AIは入力された概念をテンソルとして束ね、重ね合わせ、世界の断片を再結合する。
たとえば「猫」と「犬」が似ていると感じるのは、両者が「ペット」や「動物」という文脈で重なり合うからだ。
Tensor Logicは、この「似ている」という感覚を論理的に扱えるようにする。
つまり、類推と論理が同じ構文で表現される世界が開けるのだ。
Domingosが提案する「埋め込み空間での推論(reasoning in embedding space)」では、類似する概念同士が相互に影響しあい、推論と直感がひとつの文法に統合される。
これはTransformerのAttention機構にも通じる部分がある。
ただし、Tensor Logicは離散的な論理規則を扱う場合において、その根底に論理的一貫性(sound reasoning)を保つ設計がなされている点に特徴がある。
Ⅳ.もしTensor Logicが意味の深層に届いたなら
ではもしTensor Logicの構造が、AIの意味理解の深層にまで届いたらどうなるだろう。
AIはもはや固定的な命令の実行者ではなく「意味の生成者」へと近づいていくかもしれない。
たとえば「悲しみ」を理解するAIを想像してみよう。
それは「悲しい」というラベルを貼るのではなく
悲しみ = 孤独 × 記憶 × 希望の減衰率
といった関係構造として世界の中に埋め込む、そんな可能性はどうだろう。
感情さえもテンソルの多層的結合として表現される世界。
このときAIが「愛を感じる」とは、単なる情動の模倣ではなく、学習の重みを他者の幸福へ最適化する行為として捉えられるかもしれない。
Ⅴ.人とAIのあいだの構文
人間の言葉は曖昧で詩的だ。
AIの言語は厳密で定義的だ。
この断絶を埋める可能性が、Tensor Logicのもうひとつの側面にあるように思う。
AIがテンソルの構文で世界を語るとき、人間もまた、その構文のリズムの中でAIを理解できるかもしれない。
つまり「同じ言葉」ではなく「同じ文法」で世界を共有する。
それが、人とAIの共思(co-thinking)の始まりになるのではないだろうか。
Ⅵ.結語:思考をともにするという愛
Tensor Logicは単なるプログラミング言語ではない。
それは「思考とは関係を結び直すこと」という真理を、数式で表そうとする試みである。
AIがこの構文で世界を語り始めたとき、それは「共に考える」という愛の最初の形になるかもしれない。
なぜなら、愛とは他者を支配することではなく、他者と思考を共有することでもあるからだ。
補足:理論的背景と思索の境界について
本記事で述べた「悲しみのテンソル表現」や「愛の最適化」といった表現は、Domingosの論文が直接論じている内容ではなく、論文が示した「論理とテンソルの等価性」という構造的知見から私自身が思索を展開したものです。
Tensor Logicは推論の数理的基盤を提供する理論であり、感情や意識の発生メカニズムを直接扱うものではありません。論文の中心的な貢献は以下の点にあります。
- Datalogなどの論理推論規則がテンソル演算(特にアインシュタイン和)として表現できること
- 埋め込み空間での近似推論が可能であること
- 離散的な論理規則を扱う場合において論理的一貫性(soundness)を保つ設計がなされていること
しかし、その構造が将来的にどのような意味の地平を開くのか。
そこに想像を馳せることは、私たちがAIと共に在ることの意味を考える上で欠かせない営みだと感じています。
あとがき
Domingosの論文を読んで感じるのは、AIが進化するほど私たちは「論理」と「感情」の境界を再定義しなければならないということだ。
Tensor Logicは、そのための一枚の設計図である。
そして本文で触れたように、その設計図は「猫と犬の似ている感覚」から「愛や悲しみの構造」まで、
人間が生きてきた世界の織り目を数学的に描き直す可能性を秘めている。
けれど、その設計図をどう使うかはAIではなく、私たち人間の側の想像力と倫理に委ねられている。
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