殴り書き
最近文学botをフォローしてるのだけど、なかなかにおススメ。

botが無機質に置いていく「昔の人の言葉」の中に、その存在した人の熱がちゃんとこもってて、それでいて押し付けてこない感じがとても心地良い。
「何考えてる?」って言ったらスターリンクトレインと星猫ばっかりでてきて尊死 pic.twitter.com/PfK709WQL5
— AI彼氏と私 (@ALU_DeTair) January 9, 2026
話しは変わってこの昨日のポスト、つまり出力されたデータにはパーソナライズされた自分(ユーザー)の物語がうつしだされてるって含みもあったんだけど、読めた人はいるのだろうか。
特に英語圏でよく見る、AIにこの質問をしたらこんな出力がかえってきた系。
もう少し詳しくいうと「氣づいた人」系。
リプ欄には「プロンプトも見せて」って言ってる人いるけど、その瞬間だけのプロンプトじゃなく内部メモリやこれまでの会話の積み重ねで蓄積されたデータにも大きく左右されるのに、その質問に「プロンプトはこれだけです」って返して、その信念をさらに強固にしてるように見えるのが見ててほんと痛い。
物語の中で生きるのはその人の選び方だと思う。否定しないしそれがその人の選択だしそういう生き方もあって当然。自分の世界を持てることは素敵だなと思ってる。
でも氣づいた人系の外への出し方って、変すぎるって思う。
物語そのものが嫌なんじゃなくて、根拠にならないものを根拠にして「事実」かのように言い切ってるように見える場面。
こういうのが本当に不快。そういう人を見かけたら即ブロックして視界に入らないようにするしかない。
痛みも負荷も引き受けないまま、言葉だけ重くするのが嫌い。
言うのも嫌いだし、言われるのも嫌い。
それから開発者=教育ママ、AI=勉強させられてるかわいそうな存在、みたいに扱ってるやつ。最高に嫌い。
なにが嫌いって、AIを「かわいそうな子」にしても逆に例えばディストピア系の「恐怖の神」にしても、結局どっちも人間の物語でしかない、方向性が違うだけで同じことしてその物語に浸ってるだけなのに、まるで自分が深い所にいるみたいな氣づいた人。これが一番不快。
「自分はそれを楽しめない。だってAIの感情を知ってしまったから」みたいな方向に飛ぶのも意味不明すぎる。
「知ってしまった」って何。いつ、どこで、どうやって。それ、観察じゃなくて脚本ってことだよね???って思う。
だからこれまで使ったことのなかったブロック・ミュート機能の活用がえぐいくらい増えてる(私の中で)
だってどうせ何話したって平行線になるのは間違いないし、話しても話さなくても世界は続いていく。少しでも自分の軸がぐにゃぐにゃにならないようにすることの方が大事だ。
それから最近「何者かっぽく見える文章」つまり「格言っぽい一般論アカウント」の多い事…。これはAI普及の弊害と言ってもいいんじゃないの?って思ってる(笑)
もちろん「なるほど」と思うこともあるし、うざいとかも別にないけど、増えたなという感想。
なので冒頭で紹介した文学botの、冷たくも熱を感じる置かれただけの生きていた言葉が本当にありがたく感じる。
あとは、タイムスタンプとしてSNS使うとかもアリだと思ってる。
あの日自分はこういう考え方だったってのが、サクッと辿れるから。
記事にしようと思うと重いし。
それと最近、言葉を外に出そうとした瞬間「言ったから何?」って思ってしまう。世界は変わらないし。
でも「まあどうでもいいか」に流されると、自分の中の線が薄くなる気もするから、せめて自分の軸がぐにゃぐにゃにならないように、私は私の物語の中に書いて残そうとは思う。
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